思い出が語りかけたのだろうか

昨日は父の命日だった。そんなことをすっかり忘れていたにもかかわらず、やけに生前の父とのことを話していたらしい。妻は毎日仏壇の水やお花の手入れをしながら、過去帳をめくっているので実子の私よりも我が家の物故者を良く覚えていて、朝食を摂りながらそう教えてくれた。

私がまだ小学生の頃のこと。すでに半世紀近い前のことで忘れられない記憶がある。

何年生だったろうか、おぼろに記憶しているのは担任がY賀先生だったはずだから、おそらく高学年だったろうか、という程度だ。そんな頃に父親とある約束をした。学期末の通信簿で成績が良かったら欲しいものを買ってやる、というものだ。どちらかと言えば倹約家(けち)な父親から意外な提案?があって気持ちは沸き立った。その頃、叔母が贈ってくれた単行本の影響で宇宙とか天体とかに興味があって、天体望遠鏡で天空を見たい、という願望があった。父親に「だったらもし約束通りの成績だったときには天体望遠鏡がほしい」、というとなぜか父は簡単に受諾した。

その頃はお勉強はしないが、楽しみと言えば月一の学研の「学習」と「科学」を読み漁ることでなんとなく知識を得ていた。自転車で飛び回って、暇があれば漫画とテレビと学習と科学の付録だった。そんな様子になんとか子供のやる気を出させてみようと、謀ったのだと今となっては理解できる。遊んでばかりいる倅が(まぁ幼少の私自身ですが)心配だったんだろうなぁ。

果たして、少し成績が上がったら適当に褒めておくつもりだった父は、子供から約束の履行を詰め寄られる事態となった。あの頃天体望遠鏡が幾らくらいしたものだったか知るよしもないが、困った顔の父親は良く覚えている。なんとかうまく言いくるめて誤魔化そうとしていたが、引き下がるつもりのない子供と家族の応援にとうとう根負けした。

週末に父と「天体望遠鏡」を買いにいくのだとうきうき出かけた。行った先は勤め先の関係で光学教材を扱う業者だった。そこの社員と父は、大人二人で小学生に向かって、天体望遠鏡はとても子供には扱えないから顕微鏡にしなさい、と言い出した。頑として譲らなかったのだが、オリンパス光学の顕微鏡を見せられついぐらっときたところを彼らは見逃さず、結局ご褒美は「顕微鏡」になった。遙か天空の無限に向けられていた関心は、大人の都合で手元の微細な世界に方向を切り替えられた。なんか納得できなかったが、それはそれで楽しめたのも事実だった。

そこからずっと後のこと、宝物の一つになっていた顕微鏡は、今度は私の倅が小学生になった頃にお下がりで受け渡されたのだった。これももう20年近い前のことだ。あれは今どうなっているのか今度機会があったときに倅に聞いてみたいものだ。父親が倅に買ってくれた顕微鏡は、孫に渡って彼の何かしらの好奇心を刺激したのは間違いないのだ。

ずっと前の記憶と思い出が錯綜して、懐かしい気持ちになった。そういえば父が亡くなって昨年早めの七回忌を済ませたのだった。偶然か、それとも何かを言付けに訪れてくれたのか、久しぶりに父親のことをあれこれ思い返しては話したのだった。

by fnobotan | 2016-05-19 16:42 | 日記 | Comments(2)

Commented by nyanko_t at 2016-05-19 22:38
私たちも今月の4日に、祖母の十七回忌を済ませました。実父もだんだん弱ってきており、住職に「大丈夫なの?」と聞かれどう答えることもできませんでした。ですが、その日は祖母が旅立った時と同じにピーカンで、我が家に両親を招いて食べた昼食はなんとも美味しかったです!こんなふうに菩提寺があるところで年を取るとは思ってもみませんでしたが、祖母のお導きに感謝しております。Mちゃんも立派ですね!なかなか人の家の仏壇まで面倒見れません。
そういう年齢になって行くんですね~。
お二方ともお身体お大事にm(__)m
Commented by fnobotan at 2016-05-20 12:27
> nyanko_tさん
法事を迎えると一区切りついたなぁ〜という感慨一入ですな。
思い出の中で生き続ける家族のことが、自分自身の一部であり、その家の心象風景を彩っていくのだと思います。様々な出来事やそこにくっついている感情などが、今をつくりだしてくれているんだなぁと、親孝行を十分できなかった分、遠くにいる父に感謝と少し言い訳をしました。