いい加減に、年齢を重ねた仲間とあって

昨年、少なくない別れを知らされた。中には、急な別れも含まれていた。
一方で一昨年、倅が社会人になって、肩の荷が下りた。

思うことがあった。

もともと気ままに、自由に、わがままに生きてきた自分である事は分かっていた。
それにしても、出会う別れごとに感じる寂寞感はどこからくるのだろうか。

私は、正直に、自分に正直に、生きるためにやってきたのだろうか。
よくわからない。
でも、早世した仲間のことを思い返すたびに、問いかけが響く。

残った時間はどれくらいだろう。
思いを伝えられる人たちはいると思っている。
こんなことを思うにはまだ早いのかも知れない。
けれど決まったように、一日は巡り来て、そして過ぎていく。

幸せとはなんだろうと、今更ながら問いかける。
当たり前なことを作ってきたこれまでのささやかな時間と、残された時間。
今更、自分自身でいようとすることに迷うことなどあるのだろうか。
外にいる自分と、中にある自己との接点を思うのである。

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by fnobotan | 2016-11-05 20:58 | 日記 | Comments(2)

Commented by nyanko_t at 2016-11-06 22:17
私も近頃同じようなことを思います。別にひどい病気をした訳ではないのだけれど(でもかなりひどい病ですが)・・・。少し心細い気持ちになっています。
自分にどのくらいの人生があるのかという事を、私も日々考えています。
Commented by fnobotan at 2016-11-09 10:18
コメントありがとうございます。
なんだかんだで、先ずは健康が大事なんだと思わされます。
後は、思ったことを、やれる内にやろうと思う今日この頃です。まぁ、のんびりやっているわけです(^^)