いい加減に、年齢を重ねた仲間とあって
昨年、少なくない別れを知らされた。中には、急な別れも含まれていた。
一方で一昨年、倅が社会人になって、肩の荷が下りた。
思うことがあった。
もともと気ままに、自由に、わがままに生きてきた自分である事は分かっていた。
それにしても、出会う別れごとに感じる寂寞感はどこからくるのだろうか。
私は、正直に、自分に正直に、生きるためにやってきたのだろうか。
よくわからない。
でも、早世した仲間のことを思い返すたびに、問いかけが響く。
残った時間はどれくらいだろう。
思いを伝えられる人たちはいると思っている。
こんなことを思うにはまだ早いのかも知れない。
けれど決まったように、一日は巡り来て、そして過ぎていく。
幸せとはなんだろうと、今更ながら問いかける。
当たり前なことを作ってきたこれまでのささやかな時間と、残された時間。
今更、自分自身でいようとすることに迷うことなどあるのだろうか。
外にいる自分と、中にある自己との接点を思うのである。
by fnobotan | 2016-11-05 20:58 | 日記 | Comments(2)